晩夏(!?)の会津お城めぐり Part.1 会津若松城編その③

本年(2025年)の8月最後の週末に会津若松城を散策した際のレポートの続きです。

 

太鼓橋門跡を通って、本丸内へと進みました。

内堀に囲まれたエリアは、天守と走長屋によって御殿のある本丸と帯郭に区画されていたようです。

こちらがその走長屋の石垣です。

 

北側の帯郭跡。

往事には馬屋などがあったもようです。

 

本丸へと通じる埋門跡。

現地案内板によると、城内の他の門や建築物に比較して低い構えだったとのこと。築城当時は表門で、加藤氏時台に裏門となったのだそうです。

かつては枡形だったようですが、改変されちゃっているので今は御殿跡方面が見渡せますね(^_^;)

 

門跡を通って本丸に入ります。北東側には復元天守がそびえております。

 

本丸御殿エリアはかなり広いスペース。

現地案内板によると、本丸御殿は表、中御、奥向などに分けられているそう。現地案内板に平面図が掲載されていましたが、巨大さにちょっとビビりますね。

 

奥御殿跡。

いわゆる大奥で、藩主の家族や女性たちの生活の場だったのだそう。

 

藩主の居座のあった表御座跡とのことなので、この辺りが中御殿だったんですかね。

 

訪れた皆さんはここで記念写真を撮るんでしょうね(*^_^*)

 

本丸唯一の高楼建築であった「御三階」の跡。

戊辰戦争でも焼失を間逃れて、現在は市内の阿弥陀寺へ移築されています。

 

本丸の南東部に建つ茶室の「麟閣」。

蒲生氏郷千利休の子の少庵を保護していた際に建てられたといわれているのだそう。戊辰戦争での焼失を逃れ、市内に移築・保存されていたのを平成2年(1990年)に平成2年に元の場所へ移築再現されたとのこと。だとしたら織豊期の建物ってことですよね? よく見たかったのですが…時間がないのでスルー(T_T)

 

本丸南東部の石垣土塁の上には「月見櫓」跡があります。

現地案内板によると、こちらには常に武器が納められており、本丸南側の横矢がけに重要な櫓だったとのこと。その一方で、この櫓にかかる月がひときわ美しかったことから、風流な名で呼ばれたそうです。

 

本丸南東部のもうひつの櫓跡である「茶壺櫓」跡。

現地案内板によると、茶室の麟閣が櫓下にあることから、櫓内には主に貴重な茶器が収められていたためこの名があるのだそう。

軍事的には本丸東の廊下橋の防御を固める役割があったもよう。

 

茶壺櫓からの廊下橋の眺めは会津若松城の高石垣を紹介するものとしてポピュラーな構図ですね…ただ、この時期は緑が多いな(^_^;)

 

石垣から下りて本丸南側に向かいます。

これまたよくある構図の復元鉄門および走長屋と天守の並び。

 

こちらも復元された干飯櫓と南走長屋。干飯櫓は鶴ヶ城内にあった11棟の櫓の中で一番規模の大きかった櫓で、文字どおり食糧庫だったそうです。

復元にあたっては資料調査と発掘調査をもとに、古来の技術や工法を用いたんだそう。

 

復元「鉄門」。本丸東側の帯郭から奥御殿へと通じる表門。扉や柱が鉄で包まれていたことからこの名がつけられたのだそう。

 

こちらは帯郭側から見たところ。

昭和 39 年(1964年)に着工し、昭和 40 年(1965年)に復元されたのだそう。

 

5層5階の層塔型の天守は昭和40年(1965年)に再建されたもの。

発掘調査では黒瓦と赤瓦が出土しているから、再建当時は屋根は黒瓦が使用されていたそうですが、慶安元年(1648)頃以降、赤瓦に葺替えられてきたことが記録されていることから、平成22年(2010年)に赤瓦に葺直されたということです。前に来たときは黒瓦だったわけか( ̄3 ̄)

 

天守は再建築モノですが、天守台の石垣は現存モノです。

 

荒々しい感じの野面積み。これは蒲生氏時代のものだからだそうで、ここ天守台と本丸北東隅の一部が蒲生氏時台のもので、他の石垣は加藤氏時代以降のものだそうです。

 

出隅部の算木積みの石材もまだまだ荒い感じですね。

 

こちらの石垣は太鼓門を構成する南側の石垣。武者走り=相坂と呼ばれる逆ハの字形の階段が設けられております。

 

太鼓門の渡櫓などへ簡単に上り下りができるようにするための意匠だそうです。

 

太鼓門は北出丸へと通じる大手筋の門です。

 

当然のごとく枡形でガッチリとガードを固めています。

往事には多門櫓が設置されていて、直径五尺八寸(1.8m)の太鼓を備えて藩主の登城や非常事態その他の合図に使用されたことから太鼓門と呼ばれたそうです。

 

枡形内から椿坂方面を眺めたようす。

枡形を構成する石垣に大型の石を数多く用いることで、大手門としての威容を誇ったもよう。写真ではわかりづらいですが、鏡石である「遊女石」は、縦約 2.7m×横 2.8m、重さは8トンといわれるそうです。

 

西出丸へと通じる西中門も枡形となっています。

西中門近くにある鐘楼堂があったハズなのですが、見逃してしまいましたorz

 

ってな感じで、ザッとではありましたが本丸と帯郭周辺を見終えました。

計画では天守にも入って展示を見学するつもりだったのですが…想定していた以上に時間がかかったため、時間切れ(T_T) 泣く泣く城跡を離れてこの日の宿泊先に移動したのでした。

 



それでも最後の最後に阿弥陀寺へ移築されている「御三階」はチラッとですが見たのでした。

 

そんなこんなで会津若松城の散策はひとまず終了。

過去にも訪れたことがあるので、今まで見ていないところだけサクッと押さえらればいいので、さほど時間はかからないだろーどと考えていたのは甘かった。まったく時間が足りませんでしたorz

さらには8月最終盤にもかかわらずこの日は酷暑で、しかも最も気温の上がった時刻の訪問だったので、暑くて暑くて大変でした。しかも雨にも降られるし(*´Д`*)暑さには参りました。

それでも会津若松城の堅固さは十分に堪能できましたので、満足できる散策でしたね。

 

<参考資料>

会津文化財調査研究会「国史会津若松城復原図」 (昭和58年)

会津若松市 建設部 都市計画課「会津若松市歴史的風致維持向上計画」(令和5年)